母の昭和の思い出 その2 上水道が完備される前の話

先日TVを見ていた時、未だに湧水で洗濯する地方が
映っていた際に母が

「そういえば私の小さい頃、(地元の地名)でも
水が湧いててみんなが洗濯してた」と言ったので

※正確には方言です。

「えっ……、じゃあいつから水道に?」

反射的に聞いてみたところ、母が小学校に上がる
頃まではポンプ式の井戸から水を汲んでいたらしい。

戦前が舞台のドラマでたまに見る、でかいレバーを
がっしゃんがっしゃん上下させるタイプの奴です。

考えてみたら洗濯機やお風呂、キッチンなど
家の中のちょうどいい場所に蛇口があって、

ちょっとひねれば水が好きなだけ出るなんてのは
ここ数十年のことなんですよね……。

それ以前は川や湧水、もっと家に近づいて井戸と
家の中に水を運ぶ必要がありました。

昭和30年前後から、徐々に上水道が普及してきた
みたいです。

「神社に行って杉の枝を拾ってきて、俵をほどいた
わらと円座を燃やすまでが私の当番。あとはお父さんが
お風呂沸かしてくれてた」

「円座って何……?」

俵の両端の丸く編まれたところ「円座」っていうの
はじめて知りました。

母方の実家は米屋だったので、俵はたくさん
ありました。

祖父が自転車に米袋をいくつも載せて配達してたのは
私の記憶にも残っていますが

母が子供の頃はビニールパックされてるはずもなく
わらで編んだ俵というのが実に日本昔話っぽい。

ついでに円座は東京オリンピックの数年前、母が国体を
観に行った時に座布団代わりに売ってあったらしい。

幾らだったかは覚えてないようですが、
それがないとお尻が痛むようなシートだったのかな?