昭和の思い出47 給食当番

給食のある学校はどこも同じような
ものだと思いますが、
「給食当番」というのも変わったシステム
ですよね。

エプロンという名の白い割烹着と
頭をすっぽり覆うゴムのついた白い帽子。

それを入れる白い巾着までが
ワンセットで、あとは個人でマスク。

金曜日には生徒がエプロン一式を持って帰り、
月曜日には洗濯して次の当番に渡すというのも
よく破綻なく続けられたものです。

当番は5・6人くらいしかいないため、
サボるとそれだけ昼休みが遅れるということもあり
あまりサボってる人は見たことありません。

給食ワゴンの手すりを掴み、体を斜めにした状態で
当時再放送中の『ゼンダマン』OPごっこしてた
アホな中学生男子は見たことありますが……。

ゼンダライオン本体の手すりをつかんでる1号は
まだしも、1号に手を握ってもらってるだけの
2号は特に危ないよねアレ……。

それはともかく、私の学校では小中通して
当番のうち何人かがおかずやご飯をよそって

別の当番がそれを各机に置いていく
やり方でしたが、

中学の時、隣のクラスがセルフサービス
方式を始めました。

当番は給食室から持ってきて、
教室の後ろにある配膳台に置くだけです。

そこに生徒がトレイと食器取りつつ並んで
ご飯やおかずをよそっていきます。

デザートや人気のおかずを他人の分まで
取る奴がいない、ということが前提の
民度が問われる試みです。

担任の先生が、一番最後に給食を取る
ことにしてたそうです。

もし誰かがズルしたら、先生のデザートや
おかずに真っ先に影響が出るせいか
トラブルになった話は聞きませんでした。

とはいえ、他のクラスは真似することは
ありませんでしたが。

ところでよく学校給食のメニューの
代表みたいに言われる「揚げパン」、
私は食べたことがありません。

ウチの学校給食には出なかったよ……!?

ちょっと食べてみたい気もしますが
普通のパン屋さんに売ってない……。