昭和の思い出54 学研のふろく 

「まだかなまだかな~学研のおばちゃんまだかな~♪」の
CMを覚えているのは昭和生まれの証かも?

「○年の学習」と「○年の科学」という二種類の
雑誌が学研から出ていて、

何故か本屋さんでなく、近所のおばちゃんが
持ってきていたはず。

私は1年から6年までずっと「学習」派でした。

「科学」の方は当たり前だけどそれっぽい
内容とふろくばかりだったので
途中で変える気にはなりませんでしたね。

「学習」のふろくでよく覚えているのは
紫水晶。5年生の時くらいかな?

親指の爪くらいの大きさでしたが
子供が初めて手にする「宝石」としては
十分な美しさで、

お菓子の空き箱にティッシュを詰めて、
その上に入れて大事にしてました。

(確かグリコの「キャンレディー」という
丸っこい八角形で、小さなハートが散ってた箱)

←画像を確認したら、昭和らしい絶妙な
ダサ可愛いデザインのキャンディの箱でした。

あと3~4センチくらいのプラスチックの
固いシートで、光がプリズム状にきらめいて
見えたり、

肖像画から偉人の音声を再現したという
謎のカセットテープとかありました。

紫式部清少納言の悪口言ってたり、
モナリザがイタリア語で自己紹介してた)

当時「学習」の読者コーナーを担当していた
新人の記者が、後にアニメディア編集長に
なったとかいう記事を見たときは驚きましたね。

「科学」で育った人は理系に進学したり
したのかな……?