昭和の思い出41 おさがりをもらう

親戚や近所の同性の服やオモチャ、学用品を貰うって
昭和ならではだと思ってましたが、今もあるんですね。

妹は学生時代の友人兼ママ友たちと、サイズアウトした
子供服などをあげたり貰ったりしてるようです。

あとメルカリも活用っていうのが実に今時っぽい。

 

私は中学時代、通学カバンは年上の従姉の
おさがりを使っていました。

当時は何故かカバンをぺったんこに潰すのが
流行っていたのですが、
私のは入学当初から潰れてました。

下手すると上級生に呼び出し喰らってた人も
いたようですが

私はスルーだったのは、明らかに使い古しだった
からでしょうか。

だいたい従姉1→従姉2→私の順番だったので、
妹のところまで来るとさすがに使い物にならず

妹は新品を買ってもらうまでがお約束でした。

だからって特にズルいとかは思ったことはないですね。
それが当たり前の時代だったわけだし。

あとモノによっては使い込まれてた方が
使いやすかったのもあります。

通学カバンとか軽くて扱いも楽でした。

 

長く不況だったこともあっておさがりも昔以上に
増えてるのかもしれませんが、

もう大量生産、大量消費の時代ではなく
モノを大切に使おうという風潮に移行していると思えば
いい時代になっているのではないでしょうか。

 

昭和の思い出40 持ってたオモチャの話

なんだか持ってなかったオモチャの話が
続いた気がするので、持ってたモノの話をします。

ウチや近所の祖父母宅で私がよく遊んでたのは

従姉も使ってただろう積み木&プラスチックのブロック、
輪投げ&着せ替え人形とか。

リカちゃん電話なんてのも持ってました。

アレは子供に電話の使い方を教えるための
教育オモチャでもあったのかな?

昔はおさがりが当たり前だったので
新品は消耗品くらいです。

赤いゴムまりは新品だった記憶がありますが、
ひらひらした服とキラキラ大きな目の女の子の
キャラクターが書いてあったような。

「あんたがたどこさ」とかわらべ歌を、
(ゴム製の)まりをつきながら幼児が歌ってるとか
今考えると日本昔話の世界……。

私は家だと絵を描いたり、本読んだりが主流だったので
わりと安上がりな子供だったとと思います。

実は「こえだちゃん木のおうち」とコメットさんの
ステッキは欲しかったのですが、
そもそも田舎には売ってる店ないし……。

昭和の思い出39 ゲームウォッチ

若い人はどんな時計?と思ってしまいそうですが、

1980年頃、任天堂から発売された
携帯型ゲーム機のことです。

今時のゲーム機のように、ソフトを入れ替えて
遊ぶのではなく、

一つ買ったらそのゲームしかできないものでした。

高価なオモチャだったため、二つ以上持ってる人は
私の周りにはいなかったようです。

ウチは流行りものは買い与えないポリシーだったので
何度か友達の家でプレイさせてもらいました。

ドンキーコング』と『ファイア』だけですが、
初心者でトロいものだからすぐ終わりました……。

『ファイア』はビル火災の中、落ちてくる人を
タンカで受け止め、3回バウンドさせて
救急車に乗せるというゲーム。

今だと「不謹慎だ!!」と怒られそうですね。

尤も落ちてくる人も、タンカ持ってる人も
棒人間なので、深刻さはカケラもありません。

最初はゆっくり落ちてきますが、
どんどんペースが早くなっていきます。

「もう一回、もう一回……」とやってるうちに
だんだん友達の顔が険しくなってきたので
(当たり前)

途中でやめました。

ただ、皆が夢中になる気持ちはよくわかりました。

数年後にはファミコンゲームウォッチ
代わり、大ブームになるのですが
ウチは(以下略)

それにしても、私が小さい頃は鬼ごっこの類や
カン蹴りなどお金のかからない
遊びの方が多かったのに

80年代、昭和で言うと55年頃を境に、
子供一人あたりに掛かるオモチャ代が

何倍にも膨れ上がってるのは
間違いないと思います。

親世代も好きだから子供と一緒にプレイすると
いうパターンもあるでしょうね。

野球少年の甥っ子の周りもスポーツ好きな子が多いようで
未だにゲーム機、デッキを組むような高価な
カードゲームとは無縁でいるようです。

でもトランプとUNOはめっさ強い……。

昭和の思い出38 秋祭り

最近、近所のあちこちに祭りの提灯が飾られていて、
地元の秋祭りを思い出しました。

夏祭りは御神輿や花火大会、屋台など
何かと派手なのに比べ、

秋祭りは神社に参拝して、つきたてのお餅を
貰うだけのわりと地味なもの。

 

お参りの時間は夜なので、御神楽が響く中、
あちこちに灯る提灯と篝火に照らされる神社は

いつもの遊び場とは違う、
神秘的な場所のように思えました。

 

最近は食中毒の危険もあるということで
機械にかわったりしてますが、

当時は杵と臼で人が餅つきをしていました。

まだ温かいうちに食べるつきたてのお餅は
ものすごく贅沢なものだったなと今は思います。

 

この神社はそれなりに古い由来があるらしいのですが、
郷土資料とか読んでも裏付ける文献が見つからない……。

昭和の思い出37 恐怖の「反省会」

※ほっこり話ではありません。ご注意ください。

今も行われているのかわかりませんが、
私が小学生の頃、その日の授業や掃除が終わると
「反省会」、それから帰宅でした。

だいたい「○○くんがそうじをサボりました、
謝ってください」→「ごめんなさい」の
パターンで、

すぐに終わるのならいいのですが、

「この前もサボりました」「先日もだった」など
次々に発言者が出てくると、もう吊るし上げです。

こうなるとただ黙ってるだけの人も
嫌~~~な気分を味わい、
一刻も早く終わることを祈るしかありません。

言われる側もそれなりに原因があるにせよ、
そこまでねちっこく責めんでも……

私も何度かやられたことがありますが、
そのうちの一つが

「通学路じゃない道を通って帰った」でした。

違う地区の友達と帰りたかったので
別の道を通ったことで、翌日反省会です。

大人になった今だと、事件などに巻き込まれた場合
真っ先に探すことになる通学路とは別の道を
通ってたら話がややこしくなる、と理解もできます。

でも当時は小学生ですから「遠回りになっても
友達と帰りたかっただけなのに」

「私がどの道を通って帰ろうが、あんたらに
関係ないじゃない」

それでも謝らないと帰れないというジレンマに
余計に腹が立ったり。

でも私を責めたクラスメイトたちだって、
事件云々まで考えが及んでいたわけじゃないはず。

「こいつは責めていい奴だ」と思うと
集団で糾弾するって、悪い風潮だと思うな……。

 

追記:団塊世代の母に話を振ったところ
母も小学生の頃に反省会があったそうです。
そしてやはり嫌な思いをしたらしい。

甥っ子は「帰りの会」はあっても
そんな吊るし上げ会はなさそうでよかった。

 

 

昭和の思い出36 舗装されてない通学路があった

私が小学生の頃、登下校する通学路は地区ごとに
決められていました。

友人が通る通学路は舗装されてなくて、
通称「ガタガタ道」と呼ばれていました。

文字通り凹凸の多い道で、雨が降ると
水たまりが転々としていて、
避けながら歩いたものです。

(あまりぬかるんではいなかった気がします)

何年後かに舗装されましたが、昭和50年代後半まで
舗装されてなかったのは確かです。

今では考えられませんね。

私の地区の通学路は舗装されていましたが、
道の左右には高く伸びた草が茂り放題。

学校の周りは田んぼと川の他は何もなく、
梅雨時には大量発生のカタツムリが潰されて
生臭いにおいを放っていました。

(ただし田んぼの周りは春にはレンゲ、
秋には彼岸花の群生がとても綺麗です)

夕方一人で帰る時は、時間帯によっては
誰もいなくて、よく不審者とかに出会わなかった
ものです。

平成になり、川の周辺も含めてどこもかしこも
きっちり整備され、葦の茂っていた岸は公園に
なりました。

そうなってから不審者情報とか出てくるというのも
不思議な話です。

なお、ちゃんと通学路を通って帰ってないことが
バレると、翌日の反省会で吊るし上げを喰らうのでした。

 

『ボキャブラ天国』の思い出

最初は水曜7;30、『ドラゴンボールZ』の後に観てました。

ググったら92年なので、もう平成に入ってますね。

しょうもない替え歌や言葉遊びを、ちゃんとした
映像で見せるスタイルが大好きでした。

最初に見た回で、ムエタイやってる人に
怯えてる画像が出てテロップで

「タイ人恐怖症」

が異様にツボにハマって継続して観ることを決意。

(=対人恐怖症ってことです。念のため)

 

8時台に移った後も観てましたが、
下ネタ、ホモネタを親の前で観るのが気まずくて
録画して後でこっそり観てました。

学生時代だったので仲間内で流行語になったり。

「中央ブリーフ連盟」は何故か皆に刺さったらしく
対抗勢力に「世界トランクス連合」がいたりして、とか
わけのわからない盛り上がり方をしていました。

特にホモネタ。二十歳前後の女子が集まれば
どんなテンションになるかはお察しください。

(腐ってても腐ってなくても似たようなものです)

多摩川は~男の国~」

「家の~リビングにいるぞ さぶ5人」

個人的には未だに雪が降ると

「兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう」を
思い出します。

 

爆笑問題ネプチューン海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)とか
大勢の芸人たちが出てきたのもこの番組でしたね。

ネタ元の歌を視聴者がだいたいわかるのが前提なので、
こういう番組はもう作れないだろうな……。